コラム/建築革命宣言!
第2回
オープンネット設立の経緯
〜金が無い、あるのはただ志。山中省吾 1999.05.28
昨年の2月、大阪で会議が開かれました。「オープンシステムネットワーク会議」です。この会議がオープンネットの原点です。参加したメンバーは山中省吾(山中省吾/米子市)、桐山貞善(現代設計/大垣市)、長谷川浩一(アイ・シー企画/大阪市)、山本一晴(フリーダム・リノ/大阪市)、金谷倫也(カナタニ・アーキテクト/岡山市)の5人です。それまでにもこのメンバーは、年に3〜4回集まって協議を重ねてきました。理想を抱いて集まり、実際に困難な中でオープンシステムの建築を実行した先駆者です。今までに約130件の事例を構築し、このシステムの優位さを実証してきました。
1. お互いの経験情報を整理して共有化を図るにはどうしたらよいか。
2. 建築資材の流通を合理化してもっとメリットを出すにはどうしたらよいか。
3. 建築工事中及び完成後の補償制度を整えるにはどうしたらよいか。
というのがオープンシステムネットワーク会議の主なテーマでした。結論から先に言うと、この3つの命題を解決するには、個々の事務所がいくら努力しても限界があるということ。まして事務所を運営しながら片手間ではとてもじゃないが不可能に近いこと。そのためにはまったく新しい機能を備えた会社を立ち上げる必要がある、ということでした。
個性の違う5人。夢を語る人、現実を見る人、情熱的な人、理論の人、行動の人…。5人の討論はいつも白熱しました。自分に欠けている能力を、この方たちがきっと補ってくれるに違いない、という安心感がいつもありました。この5人に共通していたことは、新しいことを切開いていく、という勇気の持ち主であったということです。
新しい会社を立ち上げるといっても、容易なことではありません。資金、人材、そして維持、発展。これから乗り越えていかなければならないことはたくさんあります。5人が資金を出し合って新しい会社を創る、ということは決まったのですが…。なにぶん苦労続きの貧乏事務所ばかりです。資金的に余裕のある事務所はありません。背伸びをすることはない、有限会社から出発することにしよう。ただし、お互いが資金を出し合うということは、よほどしっかりとした計画を練らなければ将来に禍根を残すことになるだろう。だから皆で納得のいくビジネスプランを構築し、それから立ち上げよう、という結論でこの日は別れました。
ビジネスプランを構築する、といってもお互い遠隔地で仕事をしています。そう頻繁に集まることはできません。このようなときに威力を発揮したのが、インターネットです。ビジネスプランの叩き台を作り、E−メールでそれぞれに配信する。それに意見や感想を書き込む。さらに修正を加えながら構築していく、という方法で取りかかりました。収益の骨子は?社会的な意義は?事業の優位性は?将来の展望は?市場性は?経験の無い作業です。建築業界を取り巻く環境や問題点など、今までにまとめつつあったものを参考資料として加えると、400字の原稿用紙に換算して最終的に300ページもの分量になっていました。作業は2月から7月までの期間を要したのですが、このビジネスプランがその後、思いもかけない幸運をもたらすことになったのです。
地元の山陰合同銀行(地銀)系のごうぎんキャピタルが強い関心を示してくださり、ビジネスプランの内容を説明したところ、株主として是非資本参加したいと、大変心強くありがたい味方が現れました。また、日本で最大の監査法人と言われているトーマツも、こんな小さな会社に夢を託してくださり、設立当初より顧問として参加してくださいました。さらに友人、知人からも「宝くじよりは確率が高いかもしれないぞ。」と出資を申し出てくださる方が現れました。幸運にもこのようにして、昨年の9月にオープンネット株式会社を設立することができました。
「建築革命宣言」から7年後、小さな波紋が共鳴し合い、点と点の結び付きが面へと広がり、そして今、面から立体へと第3章の幕が明けました。5月28日現在で、全国32社の建築設計事務所が参加するネットワークへと広がりました。まるで梁山泊のように、全国から多士済済の人材が集まっています。
これからも困難は当然です。覚悟の上です。「乗り越えられない山は無い」を合言葉に進んでいます。今後共、どうか暖かいご声援をお願いします。
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