コラム/建築革命宣言!
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第10回

創インターネット〜なんて凄いのだろう 山中省吾 1999.07.27

平成9年夏、家内が教員の研修会でヨーロッパに行ってきた。
「おとうさん、むこうの学校ではインターネットを使っているよ。e−mailを交換しようと云われたけど、日本の教員(研修生)は誰もやってる人がいなかったよ。おとうさん、インターネット知ってる?」
「ん…?パソコンと電話で…?」

ちょうどその頃、高気密、高断熱の住宅設計に取りかかっていた。まとまった棟数があったので、計画換気と空調は三菱電機とタイアップした。気密性の高い住宅は、計画換気と空調を抜きに設計はできない。三菱電機の研究所は静岡にある。米子からずいぶん遠い。あるとき、打合せが終わった後、三菱の技術者の方から云われた。
「山中さん、インターネットを導入したらいかが?打合せが楽になるし、図面も写真もメールで送れるよ。」
「すごいね。どうすればいいの?」
「NTTに行けば、親切に教えてくれるよ。」

早速NTT米子に行って、カウンターのお姉さんに聞いた。
「インターネットについて教えてほしいのですけど…。」
お姉さんはISDN、プロバイダー、ホームページについて親切に教えてくれた。約2年前、インターネットに関する私の知識はその程度だった。電話回線を通じて、世界中のホームページを自由に見に行くことができる…。電話料金は市内通話でOK…。ふむふむ…。ということは、自分のホームページを作れば、世界中から見にくるということか…。
「お姉さん、ISDNを頼むわ。プロバイダーは心当たりがあるので、すぐ行くわ。」
その日から2週間後、平成9年10月6日、山中設計のホームページ
http://www2.sanmedia.or.jp/open)がオープンした。ISDNの回線がつながると同時にホームページがオープンした。HTMLという共通言語なるものの存在も分かった。自分でホームページを更新することもできるようになった。オープンシステムのネットワークを全国に構築する、という可能性に手応えを感じた。

さらに1年後、オープンネットのホームページをオープンさせた。今度は自力ですべて作った。インターネットのプロになる気はさらさら無い。私はあくまでも建築家。どんなことが可能か、どこに問題があるか、それを知るために自分で一通り作ってみた。マニュアルを読むと頭が痛くなるというタイプだから、知っている人をつかまえては、聞いた。聞くのは得意だ。PHSでモバイルをしたり、プロジェクターにつないで映したりしていると、あまり知らない人は、まるで私のことを宇宙人みたいに見る。でも、パソコン歴も浅いし、技術レベルもたかが知れている。理屈は分からないけど、操作方法だけは知っている。

今は優秀な社員が入って、ホームページの更新は彼がやってくれる。私の作ったホームページ(HTML)の不備なところも、一通り手直ししてくれた。彼はシャープの関連会社で、設備設計の仕事をしていた。半導体などを作る工場を多く手がけてきた。クリーンルームは得意だと云う。彼は山中設計のホームページを見て、入社希望のメールをくれた。新しい会社を創るけど、リスクがあっても夢にかけるか、と聞いた。何回かメールのやり取りをして、彼はオープンネットの社員となった。これだけでもインターネットは凄い。

彼と始めてあったとき、唖然とした。インターネットは確かに凄いけど、どこかバーチャルな世界。メールでのやり取りで、相手のことを勝手に想像し、ふくらませていく。これが落とし穴かも。人間はあくまでもじかに会って、目をみて話すのが基本かもしれない。彼、オープンネットのパソコンに関することを一手に引き受けている、足立さんを紹介する。 キーボードを叩くのは大変そうだけど、とても器用にこなしている。不思議な人だ。

土建屋さんはパソコンと聞いただけで拒絶反応を起こす人が多い。確かに、現場にパソコンを持ち込んで、ディテールを画面に映して仕事が進むほど、スマートな業界ではない。ときには職人さんと、焼酎を飲んで問題解決ということも伴う。これは、建築が物造りである以上、永久につきまとうのかもしれない。だからこそ、よけいに、アナログとデジタルの融合を意識する。情報伝達手段はデジタルであっても、情報の中身そのものは案外泥臭いアナログ的なものだ。

こうやって毎日使っていると、インターネットの凄さをつくづく感じる。手紙が電話に変ったように、FAXが普及したように、それ以上に凄い変化をもたらしそうな気がする。電話が登場したころ、電話が無くても生活はできた。FAXが登場したときも、無くても仕事はできた。ポケベルも携帯電話も…。でも、あれば凄く便利だ。使いこなせば、もっと便利だ。
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