コラム/建築革命宣言!
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第23回ボッタクリ社会への挑戦 (株)現代設計事務所
西村良久
2000.05.16

プロローグ
 昨年の話題の中に100円ショップの成功がある。 読者の皆さんの中にもテレビ等でよく御存知の方もみえるであろう。店内の明るく、華やいだ雰囲気もさることながら、一番驚かされるのは、やなり100円で買える商品のクオリティ−の高さであろう。「これが100円なの?」。こう思える商品のなんと多いことか。驚きに後押しされ、ついつい余計なものまで買い込んでしまったという経験をしたのは私だけではあるまい。又、最近の自動車をみても、そのコストパフォーマンスは数年前とは比べ物にならない程向上しているといえよう。いったい今までの価格とは何だったのか?。 私達はボッタクられていたのか?その想いを抱きつつ社会を見渡すとき、私は今の日本の抱える大きな問題に直面してしまうのである。

総ボッタクリ社会
 企業は多かれ少なかれ社員を抱え、毎月毎月給料を支払っている。仮にボッタクリがあるとするならば、その会社も社員もかなり潤っているはずだがそんな声は聞こえてこない。むしろ聞こえてくるのはリストラによる叫び声ばかりである。なぜか?。それは日本全体が総ボッタクリ社会と化しているからである。私はこの社会構造をボッタクリサークルと呼びたい。(図―1参照)AさんはBさんからボッタくる、BさんはしかたないからCさんからボッタくる、Cさんは・・・・・・そして、最初にボッタくったAさんはZさんからボッタくられることになる。潤うどころか虚しさがつのるばかり、「俺はこんなに頑張っているのに」現代は生きていくだけで莫大な経費(あえてこう書きます)が掛かる世の中になってしまったのだ。
 デフレスパイラルという現象を御存知だろうか?。(図―2参照)不況期の社会の経済的な循環を言い表したものだが、この悪循環により景気の下降は急速に進む。これと同じ事は前述のボッタクリサークルにも当てはめる事ができる。そう、ボッタクリスパイラルである。少しのボッタクリが繰り返される事により、際限なくふくらみ続ける。怖いのは最終的にだれかがババを引くことだ。建設業界におけるババを引く人、それは施主である。

図−1

図−2

社会を変える第一歩

 住宅価格の世界との比較においてよく言われる言葉に「寿命半分、価格は2倍、よって4倍のコストが掛かっている」というものがある。 普通の人がこれを聞くと、「何て業界だ。ボッタクリすぎだ。」ということになるだろう。しかし、街の工務店を見渡して見るとどこも非常に苦しい状況だ。この問題は単に景気が悪いという事ではなくボッタクリサークルという社会構造も原因のひとつといえよう。もうこのあたりで仕切りなおしてみるのはどうだろうか?。ボッタクリサークルを見れば一目瞭然だが、誰かがこの流れをとめればそれは良い流れとなり、ひいては自分に廻って来る。「住宅の適正価格の追求」それは社会を変える可能性をも秘めた行為と思えてならないのである。

プロフェッショナルの共同体

 ここで、未来の企業像を考えてみたい。リストラの文字をいたる所で目にし、身近で倒産の事実を聞く。そんな中で企業も今までの組織のあり方では存続できない。そんな思いを強くするのは私だけではあるまい。ではどうすれば良いのか?。「採算部門以外のプロ化とアウトソーシング化」私は、これがこれからの企業とそれを取り巻く社会のあり方だと思うのである。具体的に言うならば企業内に経理部は必要なのだろうか?。あるいはその経理部は社外の経理の仕事を行う事はできないか?。社外の仕事をとれないのはレベルが低いからではないか?。又、人事部はどうだろう。「いや人事は人の内面まで知る必要があるから外部の人間には任せられない。」正論である。しかし、能力主義に急速に変わりつつある中で情実の入り込むような、言い換えれば明確な判断基準も作れないような人事が必要なのか?。私が言いたいのはそういった部門の方々が不要だと言っているのではない。「お前達は俺達が食わせてやっているんだぞ。」このような言葉が平然とまかりとおる事がおかしいと言っているのである。どの部門も独立採算。それができないのなら思い切って外部のプロを活用する。そうする事で企業そのものがビルトアップされ、強靭な組織を作り上げるのだと思う。このように企業の未来像を考えた時、建設業界に大きな可能性を感じるのは私だけではあるまい。

業界の再構築が社会の再構築へ真のリストラクチャーを目指して。

 社会の大転換期である現在、既存のシステム・常識がことごとく崩れ去っている。しかし、崩壊の中にも新たな生命とも言うべき新しいシステムが生まれてくるものである。私はオープンシステムもそのうちのひとつであると考える。ご存知の通りひとつの建物を作り上げるには大勢の人々の協力が必要であり、ひとつひとつの作業に高い精度が求められる。いってみればプロの集合体であり共同体である。今までの建築行為(特に住宅建築において)は職人芸的な、あるいは多能工による単純作業の積み重ねのような見られ方をしてきたがその施工形態は、前述の未来の企業像にも合致し、ひとつのプロジェクトというネットワークのなかで、個々がプロとして高いレベルの専門性を発揮しているのである。まさしくプロという名の個の連帯であり、現代社会の進むべき方向を指し示しているように思えてならない。そのような中でオープンシステムの設計者がなすべき事は上記のようなプロ集団をとりまとめ、適切な方向へと導く事である。無駄を除き、個々のレベルアップを促し、フォア・ザ・チームを説く。そこには明確な役割分担があり、出来ないことをやってもらうというネガティブな発想ではなく、より良い結果を得る為の選択というポジティブな想いがある。その想いをかたちにしつづけることが建設業界のビルトアップにつながり、コストパフォーマンスを高める事になっていくだろう。建設業界のみならず異業種とのネットワークも視野に入れ、既存のシステム・常識と言われる事に疑問を持ち、自分が信じる良い方向へと変えていきたい。ボッタクリサークルのような世の中ではなく「誰かが、誰かの為に。」そのような事が当然であると実感できる世の中にしたい。いま私達は建設業界の中では小さな波、波紋でしかないだろう。しかし、その輪は確実に広がりをみせ、社会へ良い影響を与え始めていると確信している。
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