コラム/建築革命宣言!
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第43回オープンネットを支えた影の功労者
オープンネット補償共済物語
2001.11.15

工事に欠陥が生じた場合、誰が直してくれるの? 工事会社が工事途中で倒産したら? こんな問題が頭をよぎり、結果として大手ハウスメーカーで家を建てる人は多い。分離発注で家を建てるオープンシステムにも同じ不安がつきまとうが、「オープンネット補償共済」がこれを解消している。今回は「オープンネット補償共済」の開発担当者が、立ち上げからこれまでの経緯を語る。

偶然の出会いから始まったオープンネット補償共済
 「オープンネット補償共済」立ち上げの功労者、東京海上火災保険梶E名古屋営業第二部副参事の月川総一郎さんは、我々にオープンネットとの運命的な出会いを話し始めた。
 月川さんは96年に大阪営業5部営業2課に赴任した。建設会社だけが顧客の同課は、当時、阪神大震災後の特需で賑わっていた。しかし、97年に数年遅れのバブル崩壊を迎えると、売り上げは急落。ゼネコン相手だけでは、ノルマが達成できなくなった。そこで、月川さんはターゲットを、個人住宅を造るハウスメーカーや工務店へとシフトした。その頃、建設雑誌をめくると、やたらと飛び込んできたのが“CM”の2文字だった。
「家は一生で最大の買い物。何で既製品を買うのかと思ってました。満足いくまで話し合って造ればいい。CMで価格も全部オープンになれば、中間マージンもないはず」
 月川さんはCMで家を建築する人のネットワークを探した。そんな折、大阪の保険代理店の社長から、保険制度を切望しているCMのネットワークがあるとの話を聞く。興味をもった月川さんが説明会に足を運んでみると、そこには雑誌で見覚えのある顔が並んでいた。その場には代表の山中さんを始め、オープンネットの中心メンバー5人が揃っていた。
 月川さんがプレゼンを行うと、補償制度を切望していた5人の目が輝いた。時期尚早ということで、他の損保会社からはすべて断られていたのだ。
「ええやないですか、やりまひょ〜という気楽な気持ちで入ったんです。これから増えるだろうという読みはありましたし、山中さん達と話していて、これは本気だなと思えたんです。タイミングとニーズがピタッと合った人たちが偶然に出会い、1発で決まったというだけですよ」

苦難の道のりを経て、契約数は倍増
 会社に戻った月川さんは周りへの説明を始めた。大手ゼネコンもCMに乗り出し始めている。オープンネットの可能性、今後の分離発注方式の増加が見込めることをいくら力説しても、上司には理解してもらえず、同僚の眼に留まることもなかった。
 月川さんは一度にすべてが整った保険制度を作るのは諦め、会員と打ち合わせを重ねながら、今ある保険制度の組み合わせで「オープンネット補償共済」を作ることにした。工事保険、建築士第三者賠償などを用意。費用は総額の1000分の7とした。契約は見込みの暫定額を設け、1年後清算を行ない金額を確定。保険料の差額は返すという方式を採った。建物が建っても事故や不具合が発生しなければ、保険金は支払われない。施主から設計ミスなど、事故以前の問題を指摘されることも想定される。そんな場合を考慮し、7のうち2程度をオープンネットの自家共済としてキープ。万が一に備えることにした。
 「他の会社がやらないことをやろうとしたんです。周りはバカじゃないのと言うけど、絶対に問題ない。先行投資じゃないですけど、十分にペイできると考えていました。どんどん大きくして、もの申せるようになった時には、住宅性能瑕疵補償みたいな本当の保険を提供する、それまではステップバイステップで行こう、と山中さん達と話していました」
 1つの失敗が命取りになりかねない小さな会社では、監理に細心の注意を払い、丁寧に建物を造る。ゆえに事故は少ないと月川さんは踏む。施主と共に智恵と汗を絞る現場では、問題が起きても双方が冷静な判断、処理をするだろうとの想いもあった。
 99年1月当時、オープンネットの会員は16人。初年度の新築数は当初見込みの3分の1に留まり、設定した数字より大きく後退した。だが、1年後に状況は一変する。会員は倍増、メーリングリストには「1号契約が取れました」の文字が躍る。新会員がCM方式のノウハウを覚え、契約が増えていった結果だ。今年の1月には正会員が120人、契約申し込みも120件に上った。
 「毎年、数は増えています。今年は半期で、既に去年1年の数字を達成していますから倍増でしょう。今、会員が200人を超えていますから、1人1棟でも200棟。1棟3000万円として大きな市場でしょう」

スケールメリットにより可能性はまだまだ広がる
月川さんの読みはまさに的中した。「事故率も極めて低い」との結果も残る。補償内容も随時見直しを進め、オプションの種類も増えている。
 「『山中さんがいてあなたがいたからオープンネットができた』との設計士の言葉を聞いた時、メチャメチャ嬉しかった。今までないんですよ、保険をつけてありがとうと言われたことが…」
 互いの労への感謝。お金では決して買うことができない共感。「オープンネット補償共済」立ち上げには、家づくりと共通するマインドがあった。月川さんは7月に名古屋に転勤した。だが、後任の指導、オープンネット会員との情報交換は切れることなく続いている。
 「僕は極めて単純な人間。単純な話、山中さんに惚れたと。未だにオープンネットのあの5人と一緒にやっていっているつもりです」
 補償共済が大きく成長すれば、当然スケールメリットが出てくる。保険料を下げる、補償内容をさらに充実させるなど、可能性はまだまだ広がる。
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