オープンシステム参考資料
4.設計事務所を取り巻く環境
(この文章は1997.9全国住宅供給公社等連合会総務担当者会議で講演したときの一部です)
私は当地鳥取県米子市で設計事務所を開業している。10年前に仲間3人でスタートし、現在7人のスタッフが居る。どこにでもあるような、平凡な事務所である。いわば全国の設計事務所の平均値、あるいは全国の設計事務所の縮図といえるかもしれない。従って、事務所経営の難しさや苦労は、 一通り体験してきたつもりである。

建築の設計事務所といっても、1人、2人でやっている事務所から、1000人を越えるような大きな事務所まである。ここでは20人以下の事務所をイメージして話を進める。おそらく全国の事務所のうち、90%以上はこの中に入っていると思う。

私は1974年の春、設計事務所に就職した。その頃の建築業界は、設計業務と施工業務を担う会社が、まだはっきりと分離していた。つまり、設計業務は専業の設計事務所が、施行業務はゼネコンや 工務店が担っていた。一部のゼネコンを除いて、総合建設会社の設計能力がいまだ未熟であり、設計スタッフ も充実していなかった。

やがて設計施工を謳い文句に、地方の工務店に於いても、少しずつ自社の中に設計事務所を登録するところが現れだしだ。それでも専業の設計事務所の人達は、あまり脅威に感ずることもなく、大らかに受け止めていた。工務店は設計の看板を上げただけであり、設計スタッフも整っていないから、いずれにしても自分達に仕事が廻ってくると。

事実、ゼネコンや工務店が設計施工で受注した物件でも、設計業務の大部分は専業の設計事務所に廻ってきた。設計事務所はゼネコンや工務店を、得意先の顧客として、仲良く共存する道を選んだ。

当然のことではあるが、いつのまにか社会的に不安定な立場に追い込まれていた、というのが現在設計 事務所が置かれている状況ではないだろうか。

高度経済成長の恩恵と、安定した公共工事を追い風に、ゼネコンや工務店はどんどん力を付け、資本を 蓄積した。営業スタッフ、設計スタッフの強化をはかった。そして、受注した工事費全体の中で、設計費用 や営業費用をとらえ、グロスで利益を出すことが出来ればよいのであるから、顧客に対してはおのずと設計業務はサービス、という色合いが強くなってきたのもやむを得ない。

一方設計事務所は、自己の存在をデザイン力に求め、施行会社の設計との差別化の方向へと向かわざるを得なくなった。建築のジャーナリズムも、新しいデザインの地平を切り開いた設計者や建物を中心に 取り扱った。

デザイン中心に特化した設計事務所は、建築のコストのことや、施行上の細かい納まりを、しだいに施行会社に委ねるようになった。設計図を描いても、施行会社が現場サイドでもう一度施工図を描かなければ、工事が出来なくなった。

このようにして、設計事務所は益々社会的に不安定な立場になった。技術的に成熟した現在の建築業界において、設計事務所の設計と、ゼネコン設計部の設計と比較して、デザイン的にどれだけの差があるというのだろうか。また、研究熱心な工務店やハウスメーカーと比較しても、同じことがいえるのではないだろうか。

ということは、建築工事において実勢価格を把握することが出来ず、施行面に疎い設計事務所は、いったい何処に存在価値を求めればよいのだろうか。本当に世の中にとって必要な職業なのだろうか。ここに設計事務所の本質的な苦悩があるように思う。
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