オープンシステム参考資料
8.きっかけは怒り 建築革命を決断
1992年、私は自分の専門分野である建築の業界に革命を起こすと決意したわけであるが、あまりにも奇想天外でバカバカしく思われるかもしれない。きっかけは何か、と聞かれて一言で答えるなら、腹が立ったからである。怒りである、と答えている。この業界の仕組みに腹が立った。

日本の建築産業は多重下請構造といわれている。元請けという総合建設会社が、発注者から工事全体を一括して受注し、下請けという多くの専門工事会社を寄せ集めて外注に出し、差額を利益として吸い上げることによって成り立っている。時には丸投げといって、工事を受注した会社が、他の建設会社に工事を丸ごと外注する、というトンネル会社のような存在も現れる。

最近の出来事では、A福祉事業団が30数億円の老人ホームを建設する際に、関連のトンネル会社に受注させ、その工事を一括して他の建設会社に外注し、数億円プールしていたという事件がある。しかも工事費のほぼ全体が補助金という、私達国民の税金で賄われていた。

本来なら技術力で競うべき建設産業が、技術以外の要素、政治的な力、談合による話し合い、過剰な営業合戦、宣伝等によって競われている。これらはとても高い金額につく。まともに発注者に談合費用とか、政治家や役人への経費などとは計上出来ないので、下請け工事として外注している各専門工事会社の項目の中に、利益や経費を隠さざるを得ない。

このように建築は発注者にとって、あまりにも見えない部分が多すぎる。こういった構造が建設業界全体を歪め、発注者にとって好ましからざるさまざまな問題が発生する原因となっている。しかも発注者にはけっして気付かれないところで。何のために建築設計者を目指したのか

この体験を契機に、事務所内ではいろいろな意見が出た。専門工事会社がしっかりしていれば、分離発注でも工事は可能ではないか。設計者自身がもっとコスト意識を持つべきではないか。適正な価格はどうやって把握するのか。工務店抜きで、管理は本当に大丈夫か。クレームが発生したときにどう対処するのか。専門工事会社が理解し、参加してくるだろうか。業界の反発は無いだろうか。発注者の支持は受けられるだろうか等々。

結論として、事務所の人達の総意は全ての発想をあくまでも発注者の立場に置くこと、その為に設計者でなければ出来ない手法を築き上げることであり、それはとりもなおさず、自分達は何のために建築設計者を目指したのか、を再確認することでもあった。 誰しも現状を180度変えるには、勇気がいる。今まで培ってきたものを、捨てなければならないから。発注者の立場で考えるなら、設計事務所が建築業者と利害関係を持つことは、好ましくない。今まで私の事務所も、ある程度は建築業者と営業面で協力し合ってきた。

新しい方式を試みるに当たって、まず最初に行ったことは、営業面で協力関係にあったゼネコンや工務店に私達の考え方を説明し、今後は紹介物件の受託やその他設計の手伝いが出来ない旨を伝えることであった。建築革命セミナーを開始  ゼネコンや工務店のひも付きの仕事はしない、とは言ったものの、新しい考え方の新しい手法による仕事を確保しなければならない。土俵が無ければ相撲もとれない。私の事務所は設計者の集まりである。営業のセンスを持っている者が居ない。そこで自分達の個性を生かした方法でと考えたのが、市民講座のような建築セミナー、題して建築革命宣言。会費2千円の有料のセミナー。

まずは参加者一人一人に自分達の考え方や思いをぶつけていこう、ということで始めた。2時間くらい話しをした。自分自身本当に勉強になった。誰しも楽な方へ楽な方へと行きたがる。自分を今よりもっと厳しい状況へ追いつめるほうが、人間は力を付けるようだ。昨日よりは今日、今日よりは明日と毎日挑戦を繰り返す、これが全ての生活の原点だと思う。 セミナーはボデーブローを打つように、じわじわときいてきた。仕事も少しづづ増えてきた。しかし、日本の片隅の単なる変わったやり方、建築革命はいつの日か。金は無い。有るのは、夢と希望という無形の財産のみ。せめて思いは自由に世界を駆けめぐりたい。そんな思いで事務所のスタッフとヨーロッパを旅して廻った。楽しい珍道中。銀行からはしかられたが・・

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