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以下の文章は山中設計のホームページに載せている内容から、参考資料として転用したものです。
1. | はじめに | (この文章は1997.9全国住宅供給公社等連合会総務担当者会議で講演したときの一部) |
2. | 建設業界の特殊性 | (この文章は日本積算協会「建築と積算」1997.12月号に執筆した内容の一部) |
3. | ゼネコン、工務店を取り巻く環境 | (この文章は1997.9全国住宅供給公社等連合会総務担当者会議で講演したときの一部) |
4. | 設計事務所を取り巻く環境 | (この文章は1997.9全国住宅供給公社等連合会総務担当者会議で講演したときの一部) |
5. | 建築のコストについて | (この文章は日本積算協会「建築と積算」1997.12月号に執筆した内容の一部) |
建築のコストについて
(この文章は日本積算協会「建築と積算」1997.12月号 に執筆した内容の一部である)
「オープンシステム」以前、まだ普通の(?)設計事務所だった頃、「建築のコストとは何か」ということを考えさせられることが何度かあった。そしてこの度、日本積算協会から原稿の執筆依頼と共に「建築と積算」という雑誌が送られてきて、そこには建築のコストをめぐっての特集が組まれていた。建築積算のプロを自認する人達の中にもコストに対する考えかたがまちまちで、多少困惑している様子が 見られた。おそらくこの問題はCM/PMという考え方がやっと定着する兆しが見え始めた日本の建築業界に於いて、これからさらに議論を深め、体験を積み重ねながら徐々に結論が導き出されていくことであろうと思う。
ちなみに、私達が仕事をしている地方都市(鳥取県米子市)には積算事務所というものが無い。そのような需要が無い、ということかもしれない。大都市には建築の積算数量と単価をはじき出す業務で、このように大きな職能集団としての地位を確立している人達がいるということに改めて感心した。
建築プロジェクトに於ける見えない部分の代表格、それがコストである。今回「オープンシステムと コストを含む実施事例」というテーマでまとめるよう課題を与えられた。私達の事務所がこれまでに携わってきた事例は、小規模な建物の事例ばかりであり、反対に積算事務所の業務は大規模建築物が中心だと思う。従って、実際に携わっている業務にはそぐわない内容も随分あると思うが、出来るだけ事例をまじえながら「オープンシステム」以前と以後に於ける私達のコストに対する考え方や捉え方の変化などを比較してみる。その中で設計事務所にとって、コスト管理、コストコントロールが何故必要 なのか、ということが少しでも見えてくるなら幸いである。
さて冒頭に戻って「建築のコストとは何か」を考えさせられるようなこと、というのをいくつかあげてみる。これはなにも特別な例ではなく、設計に携わっている人なら誰もが経験することだと思う。
その1・新商品の売り込みなどで、建材メーカーや建材店の人が設計事務所にPRに来る。 そして価格を聞くと、「設計価格」というものを答える。そもそも設計価格というものは何だろうか。定価、設計価格、ゼネコン価格、専門工事会社価格、市販されている建設物価、積算資料の価格、さらに公共工事用のマル秘の価格、建築業界にはいろんな価格がある。いったいどれが本当の価格なの だろうか。
このようなことに対して以前はしょうが無いか、設計者には本当の金額を言う筈が無いと半ば諦めていた。最近は違う。メーカーが商社に売る金額までは勘弁してやるが、せめて建材店が工務店に売る金額は聞き出すことにしている。答えないと見積りに参加させないと脅しながら。
その2・「オープンシステム」以前は共同住宅の設計が多かった。現場説明や見積り合わせにもよく立ち会った。建物の規模からして、地元の工務店数社から見積りをとるということが多かった。施主にとって、付き合い上できれば工事をさせてやりたいという工務店もたまにある。しかしその工務店がいちばん安い見積りを提出するとは限らない。ところがこういった場合でも最後は不思議と 丸く(?)収まるのが建設業の凄さである。
その工務店はほとんどの場合こう申し出てきた。「いちばん安かったところに合わせるので、是非我が社にやらせてほしい」と。たったそれだけで2億円くらいの見積りが1億6千万円くらいになったりした。それでは最初に提出した見積書はいったい何だったのか。
「オープンシステム」では少なくともこのようなことは解消された。ゼネコンや工務店といった元請けの会社が見積りに参加してくる場合、見積書の各項目には直接下請け(専門工事会社) に支払う金額を記入することを条件付けている。そうでないと、専門工事会社グループから出てきた 見積書と比較され、下請け会社はどんどん入れ替えられる。
その3・この事例は現在進行形、オープンシステム経験後である。知り合い(施主)が住宅を立て 替えることにしたというので相談があった。場所は千葉県なのでとても「オープンシステム」では 対応出来ない。そこで一度現地を見たうえで基本設計のみさせて頂いた。実施設計と施工は施主が 商社系のハウスメーカーに直接依頼するということだった。
ばらくすると施主が「実施設計と見積をチェックしてほしい」と言ってきた。設備関係の図面が十分でなかったので、とりあえず建築主体工事の単価をチェックした。送られてきた見積書の上に専門工事会社レベルの単価を落とし込んで計算すると、4,600万円の見積りが1,334万円 ダウンした。ただし諸経費の390万円はそのままにしておいた。
施主は私が上書きした見積書をそのまま施工会社に見せ、再検討してもらうことにした。そうしたところ当初の見積りより700万円安い見積書が再度提出された。設計内容は変更していない。これはいったいどう解釈すれば良いのだろうか。
私達設計者が、実際に分離発注で契約している各業種ごとの単価まで明示する訳だから、ハウスメーカーや工務店には相当ショックであり、インパクトがある。
設計事務所のコスト把握力
(この文章は日本積算協会「建築と積算」1997.12月号 に執筆した内容の一部である)
公共工事の設計を受託すると、通常積算業務まで必要になる。積算数量の算出については、専門家の方々に対して私ごときが何も言うことは無い。問題は単価である。私は他県や国の工事は経験が無いので、鳥取県で経験した狭い範囲のことでしか分からない。
公共工事の設計金額を弾く際、まず鳥取県建築士事務所協会作成の単価表から該当する項目に落とし込んでいく。どういう訳かこの単価表には表紙にマル秘という印が押してある。このマル秘の単価表に無い項目は市販の建設物価や積算資料を使う。それでも該当しない項目は専門工事会社やメーカーなどから見積をとり、適当に8割とか9割とか掛けて記入する。この積み上げの総和が建設工事費の目安 となり、発注者はそれに5%あるいは10%カットして落札予定価格を設定する。
さてこういった見積作業の中でこれらの単価が実状にそぐわないと主張した場合、設計者はどのような方法で自分が作成した見積単価の根拠を示すことが可能なのだろうか。根拠を分析すればするほど 矛盾が露呈するはずである。
そもそも建築士事務所協会の単価表の価格は何を根拠に作成したかというと、例えば木製建具工事なら建具工事組合とかいうところが依頼を受けて単価を作成している。どのみち自分たちが工事をすることになる金額をまとめるわけであるから、それは希望価格である。ゼネコンや工務店とぎりぎりの折衝をして、損益分岐点を知り尽くしている専門工事会社が、公共工事の建具工事はこうあったらありがたい、どうせ 元請が2、3割カットするからその分上乗せし、さらに安全率も掛けておけという金額である。
事務所協会はその金額を鵜呑みにして編集作業をし、単価の根拠に対してお墨付きを与えた。設計者はお墨付きの単価表を金科玉条に、公共工事の設計見積をはじく。単価表を隅から隅まで暗記しているほど、コストに造形が深いと思っている設計者までいる。そして発注者である自治体の職員は、事務所協会の単価を採用したというと安心し、下手に設計事務所が独自に調査した単価をいれようものなら、余計なことをするなと叱られ、疎んじられる。だからこの辺のことを理解している設計事務所は、民間工事に於いては積算などしても意味がないというところも出てくる。
実際設計事務所はどの程度まで建築のコストを把握できているのだろうか。また把握する手段があるのだろうか。
コストについては「何をコストとするのか」という議論があるのは承知している。しかしこの問題に突っ込んでいくとややこしくなるので、別の機会に譲ることにする。ここではとりあえず専門工事会社が請け負う金額の合計を工事原価とし、必要な諸経費を加えたものを建築工事費として話を進める。
我が国の建築工事は元請会社が工事全体を一括で請負い、各専門工事会社に工事を分配することによって成り立っているが、その多重下請け構造が建築の価格を複雑、不透明にしている最も大きな原因であると思われる。それ故、工事現場で直接工事をしているそれぞれの専門工事会社の金額(工事原価)を明確にし、そこから必要なものを積み上げていこうという考え方が必要である。
正直言って私の事務所が「オープンシステム」を始めるまでは、工事原価に関して調査をする手だては 全く無く、あくまでも推定の域を出なかった。もっぱら事例にあげたような単価表に頼らざるを得 なかった。 それではゼネコンや工務店から提出された見積書が沢山揃っているなら、それを分析すればよいではないか、という考え方の人もいると思うが、それもナンセンスである。ゼネコンや工務店の明細書は実際に専門工事会社(下請)に支払う金額が記入してあるのではない。元請としての利益や経費も上乗せしてあり、しかも全ての項目に同じ率で乗せているわけではない。そこにはそれぞれの元請け会社としての戦略が盛り込まれており、いかに受注し利益を確保するか、というストーリーがある。フィクションの小説を読むようなものである。実際、発注者に提出するための見積書と、工事原価を記入した実行予算書 の2通りあるのはご存じと思う。
結局市場で動いている工事原価は、価格の決定権と発注権をもった上で、専門工事会社と価格交渉を繰り返していく中でしか把握は出来ない。従って現在の設計事務所のようなデスクワークではけっして工事原価は見えてこない。既存の価格表に頼らざるを得ないあいだは、あくまでも参考金額の域を出ない。
直接工事費と経費の明確化
(この文章は日本積算協会「建築と積算」1997.12月号 に執筆した内容の一部です)
元請会社は工事全体を一括で請負契約を交わすので、建築工事費をどうしてもグロスでとらえようとする。場合によって設計料やその他のサービス料は無料ということも可能になる。只より高いものは無いというが、経費やサービス料をそれぞれの項目に盛り込んだ見積明細書では、それを受け取った発注者や設計者にとって、あまり意味が無い。発注者や設計者にコストを分析する能力が無いかぎり、中身の明細はともかく、トータルでなんぼ、というところにどうしても結論がいってしまう。
発注者にしてみれば結果オーライなら良いではないか、ということもいえるが、それではいつまで経っても、設計事務所が主体的にコストコントロールをする、などというのは不可能なことである。あてにならない参考内訳明細書の何パーセントが基準では、説得力を持たない。ただし目安にできる というのであれば、それなりの意味はある。
建築施工会社の商品が工事を完成させる為に必要な技術力であるとしたら、建材の価格の中に利益を乗せて発注者に提示するのはおかしなことである。そうであるなら、ゼネコンや工務店は建材店を兼用 していることになる。また、各下請け会社(専門工事会社)に支払う金額に上乗せした見積書を発注者 に提示するのもおかしい。それでは別項目で諸経費を計上すべきではない。下請けに工事を配分して利益 や手数料を吸い上げるのが建設業だ、という誹りを受けてもやむを得ないことになる。
いずれにしても今の状態は健全とはいえない。建築需要が拡大傾向にあったからこそ、吸収できたのである。これからはこういった建設会社の体質そのものが、自らの首を絞めることになる。
設計事務所は専門工事会社から直接、工事費を把握する手法を考え出さなければならないし、 そのデータを分析して、コストを主体的にコントロール出来るようにしなければならない。そして、施工会社の見積書はまず原価(専門工事会社の金額)をチエックし、そこから必要な技術料、経費を積み上げていくという考え方をしなければならない。
そのためには結局、設計事務所が「発注権限を持つ」というところまで踏み込まなければならない。尚かつ発注権限は、どの専門工事会社をどれだけの金額で採用するか、という権限まで持たなければ ならない。 「オープンシステム」の基本はあくまでも分離発注である。私達の設計図を基に、業種ごとに有る程度競わせて見積りをとる。基本的にはそれぞれの業種で最も金額の低い専門工事会社と設計内容を再検討し、さらに価格交渉したうえで施工会社を決定していく。
工事金額と支払日の一覧表で建築主から了解が取れたら、工事請負契約を結ぶ。契約を結ぶ日は住宅であるなら15社から20社くらいの専門工事会社が、建築主の元に一同に会する。そこで一社ずつ順番に挨拶を交わしながら契約を結んでいく。そこには元請け下請けという関係は無く、私達設計者を 含め、全ての専門工事会社が建築主のパートナーという立場となる。さしずめ私達設計者はオーケストラでいうならば、指揮者という役割であろうか。工事が始まると現場は私達設計者が組んだ工事工程表に則って、お互いのコミュニケーションを取りながら進められていく。
建築設計事務所も随分専門的に細分化されてきた。構造設計、設備設計、積算設計と。それぞれの専門分野に於ける知識や能力は飛躍的に向上したであろうが、建築のマネジメントは建築の全体を捉えようという視点を持たなければ、上手くいかないような気がする。 ある工事の体験〜レストラン改造工事 それでは建築革命〜オープンシステムを実行するに至った具体的な工事体験の話をする。
1992年春、レストランEの改装工事の設計を受託した。それまで私の事務所は、ごく一般的な他の設計事務所と同じスタイルをとっていた。このレストランの改装工事も、今までと同じ様に出来上がった設計図面に基づいて、どこかの工務店から見積もりをとって、金額が折り合えば発注される 予定だった。
飲食関係の工事にはよくあることだが、開店の日から逆算して設計や工事の工程を組む。その結果、時にはかなり無理な工程を組まざるを得ないことが生じる。この現場もそうなった。工期が30日間しかとれなかった。それに対して、見積もりを依頼した工務店から、最低でも工期は60日間必要であり、発注者に工期延長をお願いできないだろうか、という申し出があった。ここに至るまで、私達は計画段階から毎日のように発注者と打ち合わせを重ねてきた。開店の日を延ばすことは出来ないと思ったが、案の定、工期延長は認められなかった。
さて、それではどうするか、ということになった。レストランのオーナーから、「山中さん、何とかなりませんか」と。「社長、出来ないと言っている工務店に頭を下げて頼む事はありません。断りましょう。そのかわり私の知り合いの大工さんや、左官さん、塗装屋さん、内装屋さん、電気、水道工事等の会社に頼んで、職人を集めてあげます。私が責任をもって、工事を完成させてあげましょう」という成り行きになった。いわゆる完全分離発注方式である。私は技術者としての勘で、充分可能であるという自信があった。この工事は、機動力のある大工の協力如何にかかっている。幸い知り合いに何人か大工がいた。
現場での陣頭指揮は、直接私が行った。工事の工程表は各職人代表が集まって、それぞれの意見を集約してつくった。レストランの社長に「幹部社員の時間が取れるなら、出来る作業を一緒にして頂いたらどうですか。その分費用が浮きますよ。」と声を掛けたところ、早速じかたびや軍手を買ってきて、危険を伴わない軽作業や掃除等を、レストランの社長自ら職人さん達にまじって、ワイワイガヤガヤとお祭り騒ぎの様な雰囲気で、工事がスタートした。
本来なら工事金額を決定してから、工事をスタートすべきであるが、時間的な余裕が無かったので、工事と併行してそれぞれの担当の専門工事会社と価格折衝を行い、完成時に直接発注者から支払って頂くことにした。私達事務所のスタッフは全力で取り組んだ。新しい何かが生まれるかもしれない、 という期待と喜びがあった。そして、なによりも楽しかった。
実際にこの工事の体験を通して、数々の貴重な発見があった。石工事がなぜこんなに高いのか。納得がいかなかったので、この際徹底的に調べてみることにした。時間を見つけて建材店や石屋を廻り、とうとう島根県の来待というところまで、たどり着いた。石材加工店の職人と加工方法を共に考え、 自然石の割ハダ仕様で当初の見積もりが120万円だったものが、30万円までコストダウンがはかれた。ただし、運搬はこちらで行うという条件で。
こんな事もあった。大工から軽トラックを借りて石を取りに行き、暗くなってから現場で荷降ろし作業をしていた。周りは飲食街。「山中さん、何をみっともないことをしとるだ。設計事務所の社長がそげなことすうだないわ」ある建設会社の社長だった。設計者として自分が出来る精一杯の事を、発注者 の為に自ら汗を流す。この作業がどうしてみっともないのだろうか。人間としてこれほど尊い作業はないはずだ。少なくとも、平日の昼間からゴルフをして、夜はスナックのお姉さんとバカ話をしているよりは、はるかに建設的だ。
このような調子で、予定より2日間の余裕をもって工事は完成した。その時点で、工事にたずさわった各専門工事会社に支払うべき金額を集計したところ、当初予定していた金額の約8割ですんだ。工務店は施工のプロである。プロが不可能といった工事を、予定の工期内で完成し、しかも大幅なコストダウンにつながった。この体験が、建築革命〜オープンシステムの直接的なきっかけである。
きっかけは怒り 建築革命を決断
1992年、私は自分の専門分野である建築の業界に革命を起こすと決意したわけであるが、あまりにも奇想天外でバカバカしく思われるかもしれない。きっかけは何か、と聞かれて一言で答えるなら、腹が立ったからである。怒りである、と答えている。この業界の仕組みに腹が立った。 日本の建築産業は多重下請構造といわれている。元請けという総合建設会社が、発注者から工事全体を一括して受注し、下請けという多くの専門工事会社を寄せ集めて外注に出し、差額を利益として吸い上げることによって成り立っている。時には丸投げといって、工事を受注した会社が、他の建設会社に 工事を丸ごと外注する、というトンネル会社のような存在も現れる。 最近の出来事では、A福祉事業団が30数億円の老人ホームを建設する際に、関連のトンネル会社に 受注させ、その工事を一括して他の建設会社に外注し、数億円プールしていたという事件がある。しかも工事費のほぼ全体が補助金という、私達国民の税金で賄われていた。 本来なら技術力で競うべき建設産業が、技術以外の要素、政治的な力、談合による話し合い、過剰な営業合戦、宣伝等によって競われている。これらはとても高い金額につく。まともに発注者に談合費用とか、政治家や役人への経費などとは計上出来ないので、下請け工事として外注している各専門工事会社の項目の中に、利益や経費を隠さざるを得ない。 このように建築は発注者にとって、あまりにも見えない部分が多すぎる。こういった構造が建設業界全体を歪め、発注者にとって好ましからざるさまざまな問題が発生する原因となっている。しかも発注者にはけっして気付かれないところで。 何のために建築設計者を目指したのか この体験を契機に、事務所内ではいろいろな意見が出た。専門工事会社がしっかりしていれば、分離発注でも工事は可能ではないか。設計者自身がもっとコスト意識を持つべきではないか。適正な 価格はどうやって把握するのか。工務店抜きで、管理は本当に大丈夫か。クレームが発生したときに どう対処するのか。専門工事会社が理解し、参加してくるだろうか。業界の反発は無いだろうか。発注者の支持は受けられるだろうか等々。 結論として、事務所の人達の総意は全ての発想をあくまでも発注者の立場に置くこと、その為に設計者でなければ出来ない手法を築き上げることであり、それはとりもなおさず、自分達は何のために建築設計者を目指したのか、を再確認することでもあった。 誰しも現状を180度変えるには、勇気がいる。今まで培ってきたものを、捨てなければならないから。発注者の立場で考えるなら、設計事務所が建築業者と利害関係を持つことは、好ましくない。今まで私の事務所も、ある程度は建築業者と営業面で協力し合ってきた。 新しい方式を試みるに当たって、まず最初に行ったことは、営業面で協力関係にあったゼネコンや工務店に私達の考え方を説明し、今後は紹介物件の受託やその他設計の手伝いが出来ない旨を伝えることであった。 建築革命セミナーを開始 ゼネコンや工務店のひも付きの仕事はしない、とは言ったものの、新しい考え方の新しい手法による仕事を確保しなければならない。土俵が無ければ相撲もとれない。私の事務所は設計者の集まりである。営業のセンスを持っている者が居ない。そこで自分達の個性を生かした方法でと考えたのが、市民講座のような建築セミナー、題して建築革命宣言。会費2千円の有料のセミナー。 まずは参加者一人一人に自分達の考え方や思いをぶつけていこう、ということで始めた。2時間くらい話しをした。自分自身本当に勉強になった。誰しも楽な方へ楽な方へと行きたがる。自分を今よりもっと厳しい状況へ追いつめるほうが、人間は力を付けるようだ。昨日よりは今日、今日よりは明日と毎日挑戦 を繰り返す、これが全ての生活の原点だと思う。 セミナーはボデーブローを打つように、じわじわときいてきた。仕事も少しづづ増えてきた。しかし、日本の片隅の単なる変わったやり方、建築革命はいつの日か。金は無い。有るのは、夢と希望という無形の財産のみ。せめて思いは自由に世界を駆けめぐりたい。そんな思いで事務所のスタッフと ヨーロッパを旅して廻った。楽しい珍道中。銀行からはしかられたが・・ 住宅ジャーナル「建築革命を宣言するオープンシステム」 1995年正月明け、東京の住宅専門誌、住宅ジャーナルの記者から電話で取材の申し込みがあった。 取材をかねて私の建築革命セミナーに参加していただくことになった。 セミナー終了後、東京から来られた記者と意気投合し夜遅くまで語り合い、今だに友人付き合いが続いている。 住宅ジャーナル3月号に「建築革命を宣言するオープンシステム」として、7ページにわたる特集記事。その中で「ここにまた新たな方向からコストダウンにアプローチする起革家が現れた。鳥取県米子市の建築家、山中省吾である。氏の提唱するオープンシステムは、下請工事を分配するだけのブローカーに成り下がっている工務店を排除し、設計事務所が設計、施工管理を行うことで、コストダウン効果を直接 施主にもらそうとするものである。存在理由なきものは淘汰される。商社、問屋の次に振るい落とされるのは技術力なき工務店である。」とかなり過激に紹介。 事務所のスッタフと、革命に向けてやっと一歩前進したことを確認し、決意を新らたにした。その後、住宅ジャーナル社の記者から講演依頼があった。96'グッドリビングショー。場所は新しく完成したばかりの東京国際展示場、通称ビッグサイト。生まれて始めて話しをしてギャラをもらった。芸能人の気分とはこんなもんなんだろうかと思った。 それにしても米子で開いている建築革命セミナーは、参加者が10人前後しか集まらない。会費もたった2千円で済む。それに比べて会費2万円ちかく払って、全国から泊まり掛けで、150人も話しを 聞きにくるなんて、米子でも東京でも話す内容は同じなのに。東京ならすごい、良い話しが聞けると 思い違いをしている人が何と多い事か。自分の足元にいくらでも、材料がころがっているのに。知識や知恵とは人から与えられるものではなく、自分で探し出し身に付けていくものだと思う。 山陰中央新報「建築コスト下げる革命」 その年の夏、山陰中央新報社から電話、「お時間取れますか」。その頃私はお時間などは売る程有った。「ちょっと、お待ち下さい。予定を確認します。その日でしたら午後の1時半から2時間程時間が取れますが」と格好付けた。 「それでは、私共の新聞社の専務が取材に参ります。よろしくお願いします」と。 電話を切って冷静に状況を再確認。事務所のスタッフに「中央新報の専務さんが、取材に来られると言ってたけど・・」「そりゃ社長、取材専門の下請会社の専務じゃないの」。取材当日、時間を持て余して、わくわくしながら2階の窓から、駐車場を度々チェック。来た。黒塗りの車に社旗をなびかせて。山陰中央新報社専務、川部省吾氏、米子総局長それに新聞記者の方。2時間みっちり取材と質問責めに 合った。 中央新報の方々は大変興味を示し、私達の考え方を理解し賛同してくれた。ローカルワイド経済人いんたびゆう、というコラムで取り上げてくれた。その後も山中設計を何度か取材、関連の山陰経済ウィークリーで表紙の顔として取り上げられる等、合計10数回の記事になった。本当にありがたいと感謝している。 日経アーキテクチュア「現代のすご腕」 1996年の年明け、日経アーキテクチュアから取材の申し込み。正直言って、マジかよと思った。日経アーキといえば数ある専門誌の中でも、設計者の間で最も評価の高い専門誌のひとつである。新しい建築のトレンドを築き上げ、デザイン面、言論面で業界のリード役を担ってきた。だから、何で自分が、と思った。 創刊20周年特集号で、現代のすご腕、というタイトルにふさわしい建築家を全国から探しているところだという。「すご腕なら私なんかより、宇宙で家を建てるとか、色々すごい人がいらっしゃる でしょう」というと、「そういう意味のすご腕ではなく、現実社会に根を張って、プロとしての 存在感のあるすご腕のことで、ともかくお時間を取って下さい」ということで、記者が米子まで 来られた。 「私は建築の設計者として、ごく当たり前のことをやっているだけ」と始まった取材、2日がかり。全国から9人の建築家が特集され、幸いにもその中の一人に加えて頂いた。 「9人は専門家の論理、言い分を墨守しようとはしなかった。こうであればいいのにという、発注者や 利用者の素朴な希望や要求を、事情の知らない素人の言うことだからと切り捨てなかった。むしろ 一般の人々を、さすがプロとうならせる事に自分の存在価値を見つけた」と過分な評価。 本来なら私のような者が、日経アーキに取り上げられ、特集記事が組まれるなんて、あり得ない事である。謙遜ではなく冷静な判断として。時代は少しづづ変わろうとしている。近代建築とは一体 何だったのかという反省が、建築ジャーナリズムの中に生じてきたようだ。あまりにもタイムリーに 私達の試みが目に止まった。 日本建築学会「PM/CMの事例報告」 1996年夏、日本建築学会から書面が送ってきた。日本建築学会といえば権威のかたまりだ。自分なんか会員になろうなんてことすら考えたこともなかった。 その建築学会から書面が届いた。最近少し専門誌で取り上げられたので、入会の案内でもきたのかなと思って封を開けた。そこには「我が国の建築プロジェクトに於けるPM/CMの現状と課題に関するシンポジュウムの講演と論文執筆の依頼」とあった。ハッ?何のこっちゃ?しばらく意味が飲み込めなかったが、これは大事件だ。さすがに驚きを通り越した。建築学会の担当者に問い合わせ、意味が次第に分かってきた。 1994年に日本建築学会が、PM/CM特別研究委員会というのを発足させ、研究に入った。委員の中 には、大学の先生、建設省、郵政省等の官僚、スーパーゼネコンや日建設計の人達が加わっている。ジョンバチェラー、久富洋、原田誠等建築専門誌を読んで知っている人もいる。海外では比較的に定着しているPM/CMは、行きづまりが予想される日本の建築に、新しい道を切り開く為の有力な手法として、研究を始めたらしい。 私達の建築革命宣言〜オープンシステムが、PM/CMと本質的に同じであるので、我が国の先進的 事例として、セミナーで講演してほしいというのである。恥ずかしいことにそのときまでPM/CM ということを私は知らなかった。こんなやり方が発注者にとってより良いのではないか、またこんなやり方が設計者が本来あるべき姿ではないかと、試行錯誤を繰り返しながら手探りの中で実践的に築き上げてきた。それが私達の実践してきたオープンシステムである。時代の先を読んだ、などという 大それた気持ちは勿論ない。しかし、時代は確実にオープンシステムを求め始めたことを感じた。 講演内容を打ち合わせるために上京した。委員の人達の中に自分が居る自分が少し場違いな感じがした。「私はどんな事を話せば良いのでしょうか。何を話しても良いのでしょうか。建築には裏と表があって、裏の部分にこそ真実がいっぱい隠されています。例えば公共工事をする際に、私達設計事務所は建築士事務所協会からまわってくマル秘の単価表で、工事費を見積ります。その金額が基準となって工事が落札 します。マル秘の単価で見積もった金額と、市場で実際に取り引きされている金額の比較を、シンポジュウムで公表しても良いのでしょうか。」と質問した。少しの間沈黙があった。 「かまわないと思います。何でも自由に話して下さい。特に何故このようなことに取り組み始めたのか、動機などをお話されたらよろしいのではないでしょうか」。この委員の方々も、かわらなければならないと思っている。変化を望んでいるのだなと感じた。 「私は学者ではありません。研究者でもありません。実践者です。したっがて、シンポジュムでは、研究論文の発表というより、実践報告、あるいは体験レポートという形を取らせていただきます。」ということで、約1万字の論文形式にまとめ、講演させていただいた。 建築の学術的な中心部分で、建築革命が少し進展した。革命は忍耐力、少しずつ着実に前へ進もうという情熱が、5年、10年、20年で大きく前進する。 あきらめないこと。あきらめない人が最後は勝つ。努力の人が最後は勝つ。私自身がそういう人間だといっているのではない。私はそれを信じてそういう人間に成ることを目指している。 オープンシステムの理念 ある建築家の言葉を引用する。 現在の生産システムは、ほとんどの決定が、遠いところで行われるように組み立てられている。つまり決定は、その結果とは関係の薄い人々によって下されるのである。建築家は顔も見たこともない人々に関して決定を下す。技師は触れもしなければ、塗装したりもたれかかったりもしたことのない柱に関して決定を下す。政府当局は、自分たちがそのような決定を下している場所に対して、いかなる人間的な関係も持たないで、道路や下水道に関して決定を下す。一方、板を釘づけしたり、煉瓦を積む職人は、自分たちがつくっているあらゆる詳細について何ら決定権をもたない。また、そこで遊ぶであろう子供たちも何の決定権をもたない。子供たちの遊び場である砂場に対してさえもである。 要するに、現在の建築システムは、物ごとが注意深く、また適切に行われることをほとんど不可能にしているのである。なぜなら、ほとんど例外なしに、決定が間違った手の中にあるからである。 クリストファー・アレキザンダー(アメリカ1982年) 私が提唱している「オープンシステム」の基本的な考え方を整理してみる。以下にまとめたものは、いわばあたりまえのことである。ところがこのあたりまえのことが、現在の建築業界では、ほとんど逆になっていると考えたほうがよい。 考え方1 建物はそこに住み、働き、生活する人が、計画段階から深くかかわり、自分たちも参加して結論を出したほうがより良いものができる。そのためには価格や施工技術等の建築情報が、発注者に正確に伝わらなければならない。 考え方2 発注者、設計者、施工者等、建築にたずさわる人たちは、互いの特質を活かして、知識と技術を出し合ったほうがより良いものができる。つまり全員がイコールパートナーという立場であり、上下関係は存在しない。 考え方3 専門知識や技術で報酬を得る人たちは、工事参加の機会を平等に与えられ、正しく評価された上で受注しなければならない。また、現代社会にあっては価格競争力も技術力の一部である。 オープンシステムが目指すもの 「オープンシステム」と言ってもほとんどの人にはなじみが無い言葉だと思う。これは私達の事務所が勝手に付けた名前であるので、やむを得ない。この名前は1992年から使っている。一応商標登録もしておいた。設計監理の手法が、今までとはまったく違う新しいやり方なのだということを強調し、周りにいる建築業界の人や発注者の人達に理解を求めていく為にも、新しい呼び名を付ける必要があった。 「直営方式」「分離発注方式」などの言葉では「発注」という狭い部分に限定され、かえって私達の考え方が伝わりにくいと思い、「オープンシステム」という呼び名にした。 コストに限らず建築というものは、私達設計者でもよく見えない部分が沢山ある。発注者にとってはなおさらであろう。建築工事にまつわる談合や賄賂は後を絶たないし、発注者のみならず一般市民まで もが不信感を抱いている。これらの多くは建築プロジェクトの閉鎖性、つまり見えない部分が多すぎるというところに起因している。 そこで私達は「見せざるを得ない仕組み」として「オープンシステム」を考え、私達設計者に見えた部分は発注者に全て公開し、共に考え共に結論を探っていくということで始めた。つまり全てオープンにしていく、という意味の「オープンシステム」であり、芸が無い名前といえば確かにその通りである。 私達はPM/CMを研究してこの方式を始めた訳ではない。たまたま建築業界ではこのような方式に対する社会的な要請が生じ、研究もされ始め、我が国のPM/CMの先進事例として私達の手法が日本建築学会などから注目された。 今までに携わった物件は約70件くらいになるが、今のところ私達の目の届く範囲ということで、住宅を中心とした小規模建物が多い。どの程度の規模がやりやすいか、ということに関してはそれぞれの事務所の経験と能力に依ると思う。最近「オープンシステム」を始めたある事務所では、元ゼネコン出身ということもあって、木造住宅よりもむしろS造やRC造の大型物件のほうがやりやすいということである。 建築を施工する会社にとって、技術力そのものが商品といっても過言ではない。技術力は即価格(工事代金)に反映する。ところが、建築業界は技術力以外の要素で受注がきまるという側面が非常に大きい。営業力、宣伝力、政治力、さらに談合体質。これらはおのずと高コスト体質につながらざる を得ない。 現実の施工面においても、総合建設会社(元請け)が専門工事会社(下請け)に外注という形で依存 せざるを得なくなっている。専門工事会社においてさえ、受注してはさらに外注(孫受け)にまわす、ということも多くある。代理機能しか果たしていない会社が通用するのも、建築業界の仕組みの複雑さ故である。 それにしても、あまりに高い代償を支払わなければならないのは、いったい誰なのか。オープンシステムは、私達設計者が発注者のスタッフとなって、専門的な知識と知恵と技術を駆使し、業務に対する必要な報酬を受け取って、プロジェクトを完成させる手法である。技術力で競っている会社に工事参加の機会を与え、金銭的なメリットと質的なメリットを、直接発注者にもたらすことを目指した手法がオープンシステムである。 オープンシステムの流れ オープンシステムは2つのタイプに分けられる。 タイプ1は、発注者と各業種毎の専門工事会社が直接工事請負契約を結び、工事を完成させる。元請け会社不要、完全分離発注方式である。 タイプ2は発注者と総合建設会社が工事請負契約を交わして、工事を完成させる。元請け会社活用方式である。 それでは、オープンシステムの全体の流れを簡単に説明する。 l 業務に対する報酬額を決定し、建築士業務委託契約 を交わす。 l 設計コンセプトを検討し、文章でまとめる。 l 基本設計を検討し、配置、平面、立面の計画案を作成。 l 模型を作って基本設計を再検討。 l 実施設計、積算、工事工程表を作成。 l 入札または見積もり徴収。 l VE提案、価格折衝。 l 施工会社及び価格を決定し、工事請負契約を交わす。 l 工事監理及び工程管理。 l 完成検査。 タイプ1方式は総合建設会社が介在していないので、設計者が工事の工程を組んで、それぞれの専門工事会社と連携を取りながら、工事を進めていく。このタイプ1方式は住宅等の小規模な建物を 中心に、1998年7月現在で約70件受託した。 タイプ2は総合建設会社も専門工事会社も、共に入札または見積もりに参加する。総合建設会社はあらかじめ用意した工事内訳明細書の項目に従って、工事全体の見積書を提出する。ただし、各項目毎に専門工事会社の見積もりと比較され、金額が高ければ入れ替えられる。つまり、総合建設会社が下請けとして外注に出す予定の専門工事会社に代わって、業種毎に参加した専門工事会社が採用される。したがって、総合建設会社は見積書の提出にあたって、いままでのように各項目の中に、経費及び利益を隠して提出すると、競争に勝ち残ることが難しくなる。 このようにして、各専門工事会社に支払う金額(直接工事費)を明確にしたうえで、総合建設会社には工事を完成させるために必要な経費及び利益を上乗せした金額で、工事請負契約を交わす。タイプ2方式では、鉄骨造の店舗、第三セクターが発注した集会施設の2件が完成している。 事例1 酒量販店 1W 500u 用途 酒類量販店 構造 木造平屋建て 規模延べ床面積 500u 建設場所 鳥取県米子市 完成 1993年6月 93年7月、酒類量販店Aが私達の新しい試みによって完成した。消費者は今の価格にけっして満足していない。良い品を安く、言い換えれば商品の価値に値する適正な価格で手に入れることを望んでいる。 この建物の発注者は酒類の流通に挑戦して、消費者の要望に答えようとした。私達建築設計者もまた、建築の多重下請け構造という仕組みに挑戦して、発注者の要望に答えようとした。奇しくも、この建物がオープンシステムの第1号となった。 流通業界には、メーカー→問屋→小売店→消費者という流れがある。建築業界には、下請け会社→ 元請け会社→発注者という構図がある。当初私達の最大の関心事は、既存の請負方式によって生じている大きな無駄をいかに省くか、という点にあった。この建物は建築工事の各セクションを担当する15の専門工事会社に分離発注して、工事を完成させた。 見積もり参加の呼びかけは、各専門工事会社を訪問して私達の趣旨や方式を説明してまわった。この方式を理解してもらうことに、そうとうの労力を必要とした。賛同を得られたところから、各業種ごとに2〜3社づつ参加してもらった。工務店には声をかけなかったが、参加希望が1社あり、拒む必要も無いので参加してもらった。 最終的に決定した各専門工事会社の金額と、その時に工務店が提出した見積もり金額の比較を示す。合計金額を比較しやすくしたため、( )内の金額は合計額に加えていない。設計料200万円、工程管理料200万円の計400万円が私達の業務報酬料。どの程度の業務が発生するのかという データをとる必要があったことに加えて、私達にとっては実験的にさせていただくということもあり、かなり安く設定した。600万円位が適正かと思う。 表1以外にかかった費用として、仮設光熱費、仮設トイレ汲み取り料、給水負担金、工事期間中損害保険料の計10万円程度。工事期間中の掃除、完成時の美装は現場があまり汚れなかったので、発注者と事務所のスタッフが行った。その分当初の予算より約20万円費用が浮いた。現場で発生したゴミは、各専門工事会社が責任をもって持ち帰る約束だったが、結果的にはうまくいかず、2トン車1台分のゴミ処理が必要になった。 事例1−酒の量販店 専門工事会社と工務店の見積もり金額の比較 単位万円 項 目 専門工事会社 工務店 仮設工事 62 417 基礎工事 380 600 木工事 1,566 1,490 板金工事 470 866 左官工事 26 47 防水工事 48 92 金属製建具工事 245 340 木製建具工事 55 178 内装工事 51 25 塗装工事 99 150 住設機器 29 33 電気設備工事 500 558 万円給排水設備工事 123 150 空調設備工事 (386) 別途工事 設計料 (200) 工程管理料 200 諸経費 340 合計 3,854 5,286 木造の大きな空間をローコストで、というのがコンセプトであった。この目的が本当の意味で達成されたのか、ということについては、まだ結論が出せない。この業界には、ローコストに繋がる未解決の要因が、まだ数多く残されているような気がする。 それはともかく、いままでの建築設計事務所としての感覚からは、驚くほどのローコスト建築であり、工務店の見積もりと比べても、かなり安くなっているのは事実である。それにしても、5,286万円から3,854万円を差し引いた1,432万円が、工務店の利益として、各項目の中に隠されているとは信じがたく思う。そこで、考えられそうな他の要因を推論してみた。 ローコストに結びつく設計上の工夫を盛り込んだが、工務店の 技術者が設計の意図を専門工事会社に伝える際に、充分理解されていなかったのではないか。従って、いままでのように材工共の感覚で、単純に積算数量×単価を集計しただけではないか。 工務店は下請け会、協力会といった専門工事会社のグループから見積もりをとっている。このように外注先が固定化され、価格競争が生じにくい中での見積もりは、 実勢価格が反映されていない部分があるのではないか。 というようなことが考えられるが、あるいは本当に高コスト体質になってしまった為、多くの経費を必要とするのだろうか。 事例2 個人住宅 2W 219u 用途 個人住宅 構造 木造2階建 延べ床面積 219u 建設場所 鳥取県米子市 完成 1995年 1994年12月、O氏が来社。オープンシステムについて詳しい説明を聞きたいという。私の事務所のことは、自宅と共同住宅を建てた知人から聞いて、興味を持った。また、設計事務所とじっくりプランを練るほうが、きっと良い家が出来るのだろうが、費用が高くつくだろうと思い迷っていた。という話だった。建設業界の仕組み、いわゆる多重下請け構造の中で、いかに無駄な費用が出費されているかを説明し、私の事務所が取り組んでいることや、考え方に対して理解を求めた。 95年1月、O氏と建築士業務委託契約を交わす。オープンシステムによる10件目の建物である。契約書の中には、工事発注代行業務、工程管理業務、さらに工事費予定価格が盛り込まれている。業務報酬料は280万円。(最近はこの程度の建物で、350〜400万円) 95年2月、基本設計が完了。模型を作って基本設計の内容を再検討。模型の縮尺は50分の1。間仕切りや建具がはめてあり、屋根を外すと内部を見ることができる。外観のイメージ、動線、風の通り道、光の入り具合等を、O氏の家族と共に検討。計画案(図面)ではよく解らなかったことが、模型を通して初めて解ることもあったらしく、この段階でけっこういろんな意見が飛び出す。手間は掛かるが、けっして無駄ではない。現場での変更による手戻りを考えると、充分元はとれている。 95年3月、実施設計。設計者自身が見積もり、専門工事会社の選定、工程管理をすることが前提なので、実施設計はあくまでも実用的な図面、計25枚。30〜40社の専門工事会社が、見積もりに参加してくるので、同じ条件で見積もりが出来なければならない。また、現場で施工図を描かせて検討、などという考えは無い。 95年4月、見積もり開始。仮設工事、基礎工事、屋根工事・・・と各業種毎に、専門工事会社2〜3社に声を掛け、見積もりに参加してもらう。原則として、最も低い金額を提示した会社と内容を再検討し、採用する。実勢単価の把握、これが設計事務所にとって、いちばん自信がない分野かもしれない。建築主の委託を受けて、設計事務所が業者を選定し、工事を発注する権限を持たないと、専門工事会社はけっして突っ込んだ金額を提示してこない。実勢金額は市販の積算資料や設計見積りでは、けっして把握出来ないのである。専門工事会社が自由な競争のもとで、本気で勝負をしてくる状況でのデータが必要である。全国各地からこのようなデータがある程度集まれば、毎回専門工事会社から見積もる必要は無く、設計者が金額を査定する、ということが可能になる。 95年5月、O氏と各専門工事会社が、工事請負契約を交わす。価格交渉、VE提案を検討して決定した、各専門工事会社の金額、支払日、振り込み先の一覧と工事工程表を作成して、O氏の承認をいただき、各専門工事会社毎に工事請負契約書を作成。契約した専門工事会社の数は13社。ほとんどの会社が、この日初めてO氏と顔を会わせた。従って「塗装工事の○○です。この度はよろしくお願いします。」というようなあいさつが一社づつ交わされた。普通、建築主と専門工事会社がコミュニケーションをとるという機会があまり無い。尚、あらかじめ見積もることが難しい項目、例えば現場で発生するゴミの処理費用、仮設光熱費等は推定金額を予備費として計上し、後に実費清算した。工事期間中の損害保険は、建築主と損保会社が契約。普段は下請けの専門工事会社が、このときは全て元請け会社なので、労災保険は各々の会社が加入。 95年5月、工事着工。設計者が工事工程表に則って、各専門工事会社と連携を取りながら、工事の工程を管理する。とはいっても、一日中現場に張り付いているわけではない。日常の設計監理業務の延長で考えられる範疇、と思ってよい。打ち合わせの相手が工務店の現場監督か、専門工事会社の職人かの違いはあるが。計画、設計段階で、建築主とかなり密に打ち合わせ、検討をしてきたので、現場での変更はほとんど無かった。 95年11月、工事完成。建築士業務委託契約を交わしてから約300日。担当の設計者は、設計中や監理中の物件を、常時3〜4件抱えている。この住宅の設計監理、見積り査定、業者選定、工程管理等に要した建築士の業務人日数は、延べ120人位。結果から逆算すると、業務報酬料はけっして高くはない。しかし、私の事務所にとって、建築主から必要とされている、という確かな実感が持て、さらに、新しい分野を切り開いていくことが出来る、という可能性までいただいた。 事例3 集会施設 1S 230u(第3セクター) 用途 集会施設(淀江町第三セクター) 構造 鉄骨造平屋建て(増築) 延べ床面積 230u 建設場所 鳥取県淀江町 完成 1996年5月 この建物の第1期工事は、設計コンペ方式を採用し、工事予定価格を大幅に上回った。幸い順調に来場者の増加が見込まれ、すぐ増築が必要になった。増築工事ではなんとか投資額を抑えたかったので、私達の事務所に声が掛かかった。 工事は発注者の意向で、タイプ2が採用された。米子市、淀江町の総合建設会社約100社、専門工事会社約300社に、ファックスで発注説明会の案内を送り、見積もり参加の意志は、発注 説明会参加後に各業者が判断した。 最終的に総合建設会社33社、専門工事会社58社が見積もりに参加した。見積もり書は山中設計まで 郵送とし、開封は発注者の立ち会いのもとに行った。コストダウン効果がどの程度発揮されるかが、関係者最大の関心事だった。 参考内訳明細書の単価の根拠としたのは、従来の公共工事と同じように、鳥取県建築士事務所協会作成 の建築工事積算単価表、歩掛表によった。見積もり参加業者には、積算数量が入り、単価を伏せた明細書 を渡した。それぞれの業者が同じ積算数量をはじき出す労力の無駄を考慮した。 最終的に決定した業者の工事金額と、参考内訳明細書の金額を示す。 事例3−集会施設 決定工事金額と参考内訳金額の比較 (単位円) 項 目 決定金額 参考内訳金額 仮設工事 749,510 1,094,154 土工事 723,274 722,764 コンクリート工事 1,190,665 1,369,260 鉄筋工事 336,750 310,172 鉄骨工事 3,226,750 4,489,123 防水工事 119,550 209,110 タイル工事 127,500 138,722 木工事 4,291,040 3,212,475 屋根外壁工事 4,163,260 3,908,544 金属工事 1,345,840 1,724,789 左官工事 929,450 1,380,633 木製建具工事 1,370,200 2,417,000 金属建具工事 1,312,000 1,355,000 塗装工事 774,950 959,602 内装工事 3,112,019 3,325,141 厨房機器 587,200 915,000 家具工事 230,000 145,000 電気設備工事 3,800,000 6,153,870 機械設備工事 7,000,000 9,685,400 諸経費 2,414,873 9,808,911 合 計 37,814,871 53,324,670 95年度の建築土木の市場規模は83兆円。そのうち政府建設投資、いわゆる公共工事は38兆円あった。ゼネコン疑惑が世の中を騒がし、公共工事における談合問題が指摘されたことは、まだ記憶に 新しいが、長年続けてきた指名競争入札に代わる新しい方式は、なかなか実行されない。 このようなとき、幸運にも公的な工事の発注業務まで含めた、設計監理の仕事をさせていただく機会を得た。公共工事、即ち税金によって建てられる建物こそ、本当の適正価格が追求されるべきではないだろうか。民間工事では節約というきわめて常識的な意識が、公共工事においては働きにくいのが 現実である。建築業界の近代化がはかれない要因のひとつは、この辺にあるのかもしれない。 丸投げの現場 1994年、私の事務所の隣で鉄骨の建物の工事が始まった。200坪位ありそうな店舗だ。現場の表示板には、○○建設とある。ところが現場に来ているのは違う建設会社の、□□工務店の人。よく知っている人だ。 「あら社長、ここの工事は社長のところがやってたの」。 話を聞くとこの工事は丸投げだった。しばらくすると、鉄骨が建ち始めた。知り合いの△△鉄工の社長がいたので、声を掛けた。あまり大きくない鉄骨加工会社だ。 「社長、けっこう大きな仕事やってるじゃん」。 「◇◇鉄工から頼まれてね」。 鉄骨工事も丸投げだった。屋根や外壁や内装や設備はどうなんだろうか。田舎警察のようなまねはしたくなないので、それ以上詮索しなかった。工事の請負が何段階か通過すると、金額は思っている以上 に大きくなるものだ。この現場の鉄骨工事を例とって考えてみる。 △△鉄工→◇◇鉄工→□□工務店→○○建設→お客様。 △△鉄工の鉄骨工事がお客様へ渡るまでに、4つの業者が介在している。仮にそれぞれの業者が15%の経費及び荒利を見込んだとする。そして△△鉄工は1000万円でこの工事を受注したとして 計算すると。 1000万円×1.15×1.15×1.15=1521万円となる。この計算はあまり短絡的な仮定のもとに計算した数字だ。仮定に大きな間違いがないかぎり、お客様はこの建物の鉄骨工事に1521万円 支払ったことになる。直接△△鉄工に支払う事が可能だとしたら、差額の521万円は安くなったはずだ。 規模は違うが厚生省の補助金交付を受けて、次々と施設を建設していた福祉法人の代表が逮捕された。厚生省の事務次官なども逮捕され、辞任に追い込まれた。主に贈収賄が問題にされたが、これら一連の建設工事は丸投げが行われていた。福祉法人の関連の建設会社に受注させ、そこから別の建設会社に丸投げして、工事代金の差額を吸い上げるという錬金術だった。確か30億円くらいの工事だと5億円くらいの金額が手元に残ったと記憶している。 このようなことがいとも簡単に行われるのは建設業界のモラルもさることながら、建設プロジェクトの課程が見えない仕組みで進むというところに起因する。 3500万円の見積りが1500万円に 同じようなことがつい最近あった。知り合いが建物を建てる目的で土地を買うことにした。その土地には既存の建物が建っていた。もともとあった古い建物は買い主にとって必要ない。けっこう大きな 建物で、壊すのも大変そうだ。そこで売り主側が建物を解体し、さら地にして引き渡すことになった。かかった費用は買い主が負担するという条件で。 ところが売り主が見積もった解体費用は、予想外に大きな金額だった。買い主は私に相談に来た。解体工事をオープンシステムでやってみよう、ということになった。この辺りで実績のある解体専門会社、3社から見積りを取った。処理場の問題、安全監理能力等を考慮して、2番目に安かった業者に決定した。その結果、当初3500万円の見積りだった解体工事が、1500万円で出来た。ちなみに書店で市販されている建設物価で積算したところ、約4000万円だった。 後に分かったことだが、当初大阪の不動産会社が見積りを依頼した解体業者と、最終的に決定した解体業者は、実は同じ会社だったということがわかった。その時に解体業者が提出した見積り金額も同じ金額だった。 つまりこういう事だ。大阪の不動産会社(売り主)→米子の不動産会社→中堅ゼネコン→地元の工務店 →解体業者 土地の買い主が直接解体業者と取引することが出来たので、3500万円が1500万円になり、2000万円も安くなった。この単純な原理がオープンシステムだ。それに対して工務店は反論している。「建築は安ければ良いというものではない」と。 ゼネコンの商社化現象 1989年頃、世の中は、まさにバブル景気に浮かれていた。ある仕事でゼネコンの支店長と現場へ同行したことがある。黒塗りの車に運転手付き。さすがゼネコン、リッチなものだ。その車中でこんな会話をしたことを、覚えている。 「山中さん、私の会社(ゼネコン)は商社になることを目指しているんです」。 「といいますとどういうことでしょうか」。 「こんなに物件が多くまた大型化してくると、一つ一つ全部自社の社員で現場をこなしていけんようなりましてね」。 「ほう、景気のいい話しですね」。 「現場の技術者を本社や支社に戻らせて企画と営業に集中させ、取った仕事はサブコンに全部振るようにしようと思っとるんです」。 建築を流通ととらえ、物件を動かすことによって利益を上げるというのはまさに商社機能そのもの かもしれない。 「支店長さん、私の考え方は全く逆です。ゼネコンと同じ事をすでに下請けがやってますよ。鉄骨業 も内装業も設備業も、みんな商社を目指したら最後はどうなるんでしょうかね」。 そうなのである。すでにご存じの通り、バブルがはじけた。株や土地といった物質面だけが取りざたされてきたが、背景にはバブル的な考え方生き方がちゃんと存在していた。ところがはじけたのは表面に見える現象だけで、考え方生き方はまだ残っている。だから日本経済は苦しんでいる。少し前までだと専門工事会社、いわゆる下請けは自分のところが忙しいときに、新しい仕事をたのまれたとすると、そのときは訳をいって断るか、あるいは同業の仲間を紹介してあげたものだ。 ところがいつのころからかどんどん仕事を受注して、同業者にさらに孫請けに出し、差額を儲けるということが行われ出した。そのほうが効率良く儲かる。その結果、80年代前半は鉄骨の加工組立の 費用が材料費を含めて1トン当たり18万円〜20万円が相場と言われていたものが、80年代末には30万円位まで上昇した。今は反動がきて苦しんでいるところがたくさんある。 このような商社化現象が建築産業ではたくさん発生し、今もちゃんと機能している。内装会社、電気工事会社、給排水設備会社は、特に進んで?いる。実際の現場では、いわゆる外人部隊が中心に 施工をしている。 営業費用がエスカレート オープンシステムを始めて2年くらい経った頃、ある工務店の社長が事務所に来た。以前からまんざら知らない仲ではないので、お互い気軽に本音で話しができる。 「山ちゃんはいいよな。デザインができてそれに一軒一軒こうやって模型を作って、絶対、競争力 あるよな」。 「○○ちゃんも模型ぐらい作ればいいじゃん。うちより経費たくさん取っているんだから、それぐらい やってもいいんじゃないの」。 「模型なんかつくっとたら、手間がかかってかなわんわ。山ちゃんが思うほど、工務店は儲かっと らんのよ」。 そう、工務店は沢山経費(荒利)をとっているわりには、あまり儲かっていない。社長の話(愚痴)をかいつまんで説明すると、こういうことだ。ハウスメーカーから責められ、ライバルの工務店から 責められ、とにかく仕事を受注するために、ものすごいエネルギーを注いでいるそうなのである。 総勢12人の社員のうち営業が4人、社長自身も営業の先頭に立っているようなものなので、5人が毎日営業に走り廻っている。毎朝打ち合わせをして、ターゲットを絞り込み、ローラー作戦 をかける。その中で浮上してきた客をランク付けする。見込みなし、見込み客、将来見込み客、というふうに。 5人で年間に約2,000件の家庭を訪問するらしい。その中で、見込み客が200件近く浮上してくる。200件の見込み客に対しては、一日も早く住宅の計画案と資金計画案を作成し持って行く。当然、他のライバル会社も営業に来る事が予想されるからだ。1年間に200件の計画案を作る作業というのは、私から見るととんでもない作業だ。1年のうち実際に働く日数が延べ250日とすると、200件÷250日=0.8件/日。つまり、毎日0.8件の住宅の計画案と、資金計画案を作っていることになる。しかも無料(サービス?)で。 そのようにして、最終的に受注出来る建物の件数は、年間に20件前後だという。なんという効率の悪さだろうか。さらに定期的に完成見学会等を行い、そのときに作るチラシ、パンフレットの費用が、年間に約300万円かかる。 まだある。コンサルタントの専門家を呼んで、年に2〜3回指導を受けている。マーケティングの仕方、営業、宣伝の手法などだと思う。米子に1回呼ぶと旅費、ホテル代、報酬料を含めて、約100万円掛かるそうだ。 社長は嘆いていた。「働いても働いても、人件費や経費で持っていかれる。山ちゃんはいいな。営業しなくても仕事が取れるから」。 「そんなに費用がかかるような営業はやめて、中身で勝負すべきじゃないの」と言っても、「分かっているけど、よそが激しく営業してるから」と、まるでいたちごっこだ。 結局、荒利が最低25%以上ないと、利益が出せないそうだ。従業員に飯を食わせなければならない、と彼はいう。その家族もいる。気持ちはよく分かる。だけど少しおかしくないだろうか。業者サイドの 理論だけでものを考えているのではないだろうか。 客の立場で考えてみよう。仮に住宅を2,000万円で契約したとする。そのときの経費(荒利)は25%として500万円。その中には無料でサービスした2,000件の家族訪問の費用、200件の計画案の費用、宣伝広告費、コンサルタント費用、全てが含まれている。これらの費用はほとんどが受注するまでに必要な営業費用だ。 ちなみに私の事務所は、2,000万円前後の住宅を例にとると、設計料が約7%、管理料が約8%、 合計15%くらいが業務報酬として受け取る金額だ。実際にはパーセントで業務報酬を受け取るのではなく、金額で決めている。その目安が予定価格の15%くらいだ。 私の事務所は、当然設計事務所であるので、得意技は設計業務そのものだ。コンセプト作りから始まって、基本計画、模型による検討、実施設計、さらに各専門工事会社による見積り、発注、工程管理と進む。 従来の考え方なら、設計事務所に本格的な住宅の設計を依頼すると、工務店に支払う工事代金とは別に設計監理料を支払わなければならない。ところがオープンシステムという手法で建築すると、結果的に全体で20〜30%安く建築できる。つまり発注者からすると、ただで設計をしてもらった上に、配当金まで受け取ったのと同じ結果になる。 公共工事に対する提言 ある政治家のかたへ 誰もが自由で平等な社会などというものはあり得ない。政治はその時代における社会情勢にあわせて、大多数の民衆の幸福の平均値をレベルアップさせるために必要であると、私は考えている。 人間の身体が機能の違う多くの独立した器官の集合体で成り立っており、それぞれの器官が全体として調和を保っているのと同じように、社会の組織も個々の個性を発揮してうまく調和が保てるなら、理想的な社会である。また、人間の身体から病気をなくすことが永遠に不可能であると同じように、 現実社会の組織から不正や不合理を無くすことも、永遠に不可能なことなのかもしれない。たとえ病気に冒されたとしても、人間の身体ならば自然治癒力が働き、自らを治そうとする。ところが今の世の中をみていると、「悪い部分」に気付いたとしても、それを直すことが出来ない構造になっているように思われる。ここに今の日本の社会が抱えている 本質的な苦悩があるように思う。 「悪い部分」に気付いたとき、良くしようという自浄作用が働く社会は、健全で活力があり、未来に希望が持てる。逆に、「悪い部分」に気が付いたとしても、自らの力では直すことが出来ない社会は、癌の末期症状と同じく死を待つしかない。 大蔵省につづいて日銀の幹部が逮捕された。今は金融業界がターゲットにされているようにもみえるが、数年前は同じようなことが建築業界にもあった。いわゆる公共工事にまつわるゼネコン汚職である。あのときと今とを比べて、建築業界はいったいどのように改善され、自浄作用が働いたといえるのだろうか? 私は地方都市の米子市で建築設計事務所を営んでいる。県や市からも設計入札の指名を受け、参加の機会を与えられているが、実際に業務を受託することは自らの意志でしていない。 なぜならば、いまだにこの業界は談合の病理に病んでいるからである。ここでは談合の実体を告発するのが目的ではないので、具体的な手口、事実には触れない。 私とて経営者のはしくれであるからには、公共工事も大きな市場の一つととらえている。 しかし、私自身の精神の自浄作用を保つために、入札に参加することはあっても、今の状態が続くかぎり業務を受託することはけっして無い。 私は自分が自立した人間として生きていくことを目指し、それなりに哲学を深めることができた。私自身の使命もライフワークも自覚できるようになった。人間としてより良く生きてく道を選択した者が、つまり不正には加わらない、談合には参加しないと決めた者が、それ故に苦悩しなければならない社会、それが今の日本を象徴しているのではないだろうか。政治とはこのような部分を解決するために必要なのである。 さて私は、1996年に、第三セクターが発注する業務を受託したことがある。この工事はいわゆる補助金がおりなかったので、私が提唱している手法で工事を進めることになった。つまり、行政が自分のふところをいためるなら、合理的な手法を用いて少しでも建設費用を切りつめたい、ということになったのである。 もらえるお金(補助金)なら節約しない。へたに残したなら次回は減らされる。最も大切にされなければならないこと、そこに住み、働き、遊び、利用する人たちにとって本当に必要か、という議論はほとんどの場合、なされない。自分たちが使い、自分たちがお金を払う(税金)、そのように重要な施設でさえも、住民はなんら意見をいうことができないで、結果だけを与えられる。こうして毎年一定量の公共工事が消化されていく。それは来年も再来年も、同じように補助金を確保するために。 どうしてこの国は、同じことの繰り返ししか出来ないのだろうか。硬直化した枠組みの中では、本当に有効な解決法が身近にあることすら、気が付かない。ルールを全て取り払えとは言わないが、いままでの流れを尊重しつつも、新しい手法を少しずつ取り入れてみることは出来ないのだろうか。 たとえば私が提唱し実践している手法を含め、効果的に公共工事が実行できると思われる手法などを、100のプロジェクトがあったとしたら、1つか2つくらいを試験的に試してみて、少しずつその効果を検証してみる、というような柔軟な発想は出来ないものか。 かつて私は行政の建築関係部署からよばれ、私が実践している手法に対する説明を 求められたことがある。そのときの行政の担当者の話は、建物を建てようとする者にとって、 大変良い方法であり、個人的には賛同するが、公共工事では難しい、と言って関連法規の中から、出来ない理由を一生懸命見つけ出そうとしていた。 前例にないものは、自分が在職中は採用したくないということなのだろうか。まさにそのようなことを、硬直した官僚主義というのである。公共工事とは納税者、すなわち私たち市民の一人一人が、プロジェクトの発注者であることを忘れないでいただきたい。 近代文明なかんずく近代建築史を検証してみると、生産システムの決定権が民衆から専門家の手にゆだねられた時代、といえる。行政マンが方針を決定し、都市計画や建築設計の専門家が設計図を描き、請負を事業としているゼネコンあるいは工務店が一括で受注し、出来上がったものを住民に与える。住民はなんら意志決定に参加しない、専門家だけの決定には、ときとして重大な落とし穴があることに気が付かなければならない。 建築の設計にたずさわる者がいうのもおかしなことであるが、人間精神の活力が健全で、コミュニティがしっかり形成されていれば、たとえトタン屋根の長屋であろうと、明るくたくましく前へ進むことができる。ある意味で幸せな世の中である。逆にどんなに近代的な高層マンションに住んでいようと、人間精神の活力が低下した社会では、コミュニテイの分断がおき、ますます精神は荒れていく。少年犯罪の多発化はそのあらわれではないだろうか。 ここまでマクロ的な視点で、建築行政に関する私見を述べた。具体的な法の整備をどうするかについては、私もまだ研究不足な点はあるが、行政や政治に携わる方で、大筋で賛同してくださる方がいるとしたら、私は共に研究していく意志を持っている。 最後に、政府は景気対策として10兆円もの公共投資のための補正予算を組むという話が浮上している。はたして減税が良いのか、公共投資が良いのか私のレベルではよく分からない。ただ、いち国民としていえることは、いままでの公共工事と同じように、無駄に使うことだけは改めてほしいと切に願う。もうすでに改めるべきところは、皆が分かっているはずなのだから。 PM/CM分野の設計者の取り組み (この文章は日本建築学会「建築雑誌」1997.10月号 に執筆した内容の一部である) 日本建築学会の「建築雑誌」1997.10月号で「建築のマネジメントを考えるPM/CM」という 特集が組まれた。<PM/CM分野の可能性>という項目の<設計者の取り組み>というタイトルで原稿執筆の依頼があった。いずれこの第8章でまとめておかなければならない内容でもあるので、引き受けることにした。 このホームページを読まれる方全てが建築の専門家と限らないので、若干説明をさせて頂く。PMとは プロジェクトマネジメント、CMとはコンストラクションマネジメントの略であるが、さらに詳しく説明 するには相当の分量を要するので、別の項目を設けていずれ解説しようと思っている。 勿論、私の事務所がPM/CMの理想型を実践しているから原稿の執筆依頼があった、という訳ではない。この方式が良かろう、よりベターであろう、と思ってやってきたことが、たまたまPM/CMの考え方に一部が一致していたので、日本に於ける先進事例として少し注目を浴びたということである。 何処にでも居るような、ごく普通の設計者が、誰でも考えそうな、ごく当たり前のことをやっている 訳だから、自分も同じ様な事を考えていた、という設計者(設計事務所)が案外たくさんいるかもしれない。従って、これまで取り組んできた体験を整理する事で、これらの人達になにがしかの参考になるならと思い、力不足は承知の上で原稿執筆の依頼を承諾した。 さて、私の事務所は何か特別なことをしているとは思っていないが、何故そのようなことを始めたのか、動機は何か、とよく訊かれる。この問いの裏側には、現状の建築設計事務所のままでは何故いけないのか、設計事務所あるいは設計者の業務内容の再定義、再構築が必要になってきたのではないか、という時代の変化に対する漠然とした意識を感じる。 第2章と若干重複するが、それでは何故、私の事務所はこのようなことを始めたのか、ということを 体験的に振り返りながら述べてみようと思う。それは取りも直さず、何故このような手法が全国的にあまり 定着しなかったのか、その障害は何か、また、今後の可能性はどうなのかということについて考えることにも繋がる。 92年、あるレストランの改造工事の設計監理業務を受託した。ところが、事の成り行きで、分離発注で工事を行うことになった。元請けとなる工務店を外したので、工事現場の工程管理は私の事務所が行った。工事の工程表は、設計者を中心に、各専門工事会社の現場責任者が一同に集まり、意見を出し合って作成した。工事代金は、発注者が各専門工事会社に直接支払った。 その結果、見積もりを依頼した工務店が、当初出来ないと言った工期内で完成した。工務店が見積もった 金額の、約75%の費用で完成した。現場でのトラブルは殆ど発生せず、発注者や各専門工事会社の人達ともうまくコミュニケーションがとれた。監理に費やした時間は大幅に増えたが、設計者としては、未知の 領域に踏み込んだ不安と期待に緊張感を覚えつつも、楽しく業務が遂行できた。発注者にとっても 内容的、金額的に満足のいくものであった。 大まかに言うと以上である。この得難い体験は設計事務所の存在意義、あるいは工務店(ゼネコン)の役割、建設業界の仕組み等について、改めて考え直す良い機会を与えてくれた。 この体験を契機に、事務所内ではいろいろな意見が出た。専門工事会社がしっかりしていれば、分離発注でも工事は可能ではないか。設計者自身がもっとコスト意識を持つべきではないか。適正な価格は どうやって把握するのか。工務店抜きで、管理は本当に大丈夫か。クレームが発生したときにどう対処する のか。専門工事会社が理解し、参加してくるだろうか。業界の反発は無いだろうか。発注者の支持は受けら れるだろうか等々。 結論として事務所の人達の総意は、全ての発想をあくまでも発注者の立場に置くこと、その為に設計者 でなければ出来ない手法を築き上げること、であった。考えてみれば、私達専業の設計事務所は、時代の 変化と共に、いつしか中途半端な立場に立たされてきた。ゼネコンの設計部も随分充実しているので、専業の設計事務所が有っても無くても建物は建つ。 93年1月、私達の方式「オープンシステム」に幸運にも声が掛かり、酒の量販店の仕事を受託した。続いて木造個人住宅の仕事。この建物の発注者は、竣工式に各専門工事会社の代表を招待した。普段は下請けとして、あまり晴れがましい席に招かれることがない職人達にとって、この日はまさに主役であった。仕事上の上下関係が無く、設計者を含めて施工に参加した人達が、発注者の元に全員がパートナーという 立場であった。その後、第三セクターの仕事を含め、現在までに約70件の建物を受託した。 一つの物件に携わる私達の業務量は倍加した。しかし、発注者に求められている、という確かな手応えが掴め、専門工事会社の人も、概ね好意的に参加していることが確かめられた。このことは、設計事務所の人達が今後PM/CM分野へ参入し定着するか、精神面を支える上で重要なポイントである。私のところに訪ねて来られる設計者がそうであるように、建築の設計に対して理想(発注者の為に役に立ちたい)を求めてこの仕事に携わったという人が多い。その理想も現実の建設業界の枠組みに阻まれて、ジレンマに 陥っていた、という設計者が多い。 もう一つの重要なポイントは経営面。従来のやりかたの設計事務所がPM/CM分野へ参入したときは、立ち上げ期が大変である。特に私の事務所のように、建築施工会社との利害関係を断ち切った場合、一時的な受注減をどう乗り切るかという現実がある。一件目の受注が特に難しい。何故なら、発注者にとって、実績が無いところには依頼しにくいからである。 さらにもう一つ付け加えるなら、設計者自身の能力面。建築は一つの物件を消化するのに、費やす期間が長い。マネジメント能力は、体験を積みながらでないと身に付きにくい側面がある。分離発注は尚更である。ノウハウといっても試行錯誤を繰り返しながら、時間をかけて蓄積する以外にない。 それでも実際には時の流れというか、案ずるより生むが安しで、建築専門誌で私の事務所が何回か取り上げられたこともあり、今までに全国から10人位の設計者が訪ねて来た。40歳前後の設計事務所の経営者達である。設計事務所は実勢コストの把握と施工管理に弱点があるり、デザインに特化するならそれでよいが、発注者に対してトータルで役に立とうと思うなら、弱点の克服は避けられない課題、というのも 彼らに共通した考えであった。今後の拡がりを占ううえで、これらの人達の現在の動きを紹介する。 岐阜県大垣市の現代設計。96年夏、所員と共に3人で来社。年末には所員1人が約1週間、私の事務所で業務を手伝いながら研修。97年1月、大垣市で建築セミナーを開催、約100人の参加。現在、総工費5000万円以下の物件に絞り込み6棟を受託、悪戦苦闘の毎日という報告があった。 大阪市のIC企画。ゼネコン出身者の設計事務所。所長が96年に来社。97年5月、大阪で建築 セミナーを開催、約70人が参加。5000uのマンションを受託し、工事費の概算を弾く為の発注説明会 も終わり、現在12月の着工にむけて実施設計中とのこと。 大阪のフリーダム・リノ。96年所長が来社。年末に神戸で建築セミナーを開催、約30人が参加。 現在住宅を受託、その他にインターネットのホームページに、問い合わせ多数とのこと。 岡山の金谷設計。97年6月、所長が来社。9月に建築セミナーを開催。住宅を3軒受託し、さっそく 「オープンシステム」に取り組んでいる。 いずれの事務所もこのような手法を模索しており、具体的な事例に接して踏み切る自信が付いた、ということであり、とても張り切っている。私の事務所も経験したことは公開し、セミナーでは講師を引 き受けるなど、できる限りのことは協力してきた。 PM/CMに関する設計事務所の動きとしては、岐阜に希望社という発注代行サービスを行っている事務所がある。最近FC展開を始め、大きく拡がっていきつつある。また、北海道にあるアーキタンク という事務所は、場合によって分離発注を行うことがある。予算が合わないときの手法として、あくまで もイレギュラーとして捉えているようだ。 いろいろな考え方や手法の基に、発注者の選択肢が拡がった方が良いと思う。ただし、急激な変化は 混乱をもたらす。緩やかに変化していくことを望む。経験の裏付けを基に、地域に根付いた手法が、本物として残っていくのではないだろうか。 オープンシステムのネットワーク 「オープンシステム全国ネットワーク会議」を設立した。98年の秋からこの名称を使っており、すでにオープンシステムを実際に取り入れている設計事務所の「情報交換の場」という色合いが 強かったが、高校生のクラブ活動じゃあるまいし、単に気の合う仲間のサークルでは長続きしないだろう、ということで、この度方向性を明確にすることになった。 基本的な考え方は以下の3点である。 1.それぞれの地域で活動している設計事務所の個性、能力、自由性を尊重したうえでの集合体。 2.それぞれの設計事務所がノウハウ、経験、データを提供しあって、共有化する。 3.ノウハウ等を提供した事務所には、金銭的に報いる。 現在会員事務所が分担して規約等の整備をしている最中であるが、もうすぐおもしろい形態の組織が 出来上がることと思う。 ネットワーク会議でなければ出来ないこと、ネットワーク会議のほうがやりやすいこと、個人レベル(地域の設計事務所単独で)でもやれること、を明確にすること。また、個々の 事務所が持っている、知的所有権とネットワークに集まる知的所有権を明確にし、提供するほうにも 利用するほうにもメリットが出るような、組織の形態を目指している。 世の中にはどうやら時(タイミング)というものがあるようで、ネットワーク会議にさっそくおもしろい話が舞い込んできた。 一つは「スーパーセールス」<住宅営業バージョン> という画期的なソフトの販売権がネットワーク会議に舞い込んだこと。このソフトは 従来、経験、勘、根性に頼っていた部分を、科学的に分析し、多種多様なシミュレーションを 行うことで、住宅営業成約率の大幅アップをねらったものであり、ベンチャー認定の指定を 受けている。いままで会員事務所は、主に建築セミナーを通してオープンシステムの普及を はかってきていたが、広告面で多少負担がかかっていた。今後はこのソフトを会員外、工務店、設計事務所、金融、不動産、税理士等に販売することによって、セミナーを 開く度に収益があがることとなる。 もう一つは、あるOEMのメーカーがネットワーク会議に対して、OEM供給を したいと言ってきたこと。この分野はまだまだ未開拓な部分が多くあるので、 今後エンドユーザーにオープンシステムのメリットを、さらに発揮できることと思う。 「オープンシステム全国ネットワーク会議」は近いうちに法人化するこになる予定である。現時点で加入している5社の会員事務所が出資してスタートするが、新規加入の事務所も様子を みた上で役員に加え、出来るだけ多くの会員事務所にも決定権を持っていただいて、運営を していくつもりである。既にこの1ヶ月のあいだで、4社の新たな入会申し込みがきている。 さいごに 哲学無き日本は、いま、かってない往き詰まりに直面している。戦後50年、経済がすべてに優先する価値観の中で、日本社会が動いてきた。より多く利益をあげた人が評価され、より大きな会社を創った人が立派な人といわれてきた。 だからこの業界においても、たとえば設計事務所が受注した物件を裏でゼネコンに設計させ、発注者 からは設計料をもらう。ゼネコンは見返りとして工事を受注し、さらにお礼として設計事務所にマージンを渡す、ということがまかり通ってきた。そこには悪いこと、という意識は全く働いていない。企業の理論からすれば当然のこと、なのである。勿論民間どうしのやりとりだから犯罪にはならないのであるが。 元厚生省事務次官が業者からお金をもらって、国民みんなが怒った。たまたまその人が官僚だったからだ。しかし法律に触れない民間なら何をやってもよいのだろうか。談合が発覚するとジャーナリズムは こぞって非難し、国民は怒る。絶対におかしい絶対に悪い、と誰もが思う。それにもかかわらず日本全国いたるところで、何事も無かったようにおなじようなことが行われ続けている。 絶対におかしいことが、現実社会ではあたりまえのこととして行われているところに、日本人の精神の貧困さがあり、建築における多重下請け構造と同じく、人間の精神構造も多重下請け構造となってしまったのではないだろうか。 その意味で私達の建築革命とは建築家革命であり、建築にたずさわる人間の革命である。今、日本の社会は行き詰まっている。バブルがはじけたにもかかわらず、その教訓が生かされていない。表面的な 反省のみで、本質に立ち入ろうとはしていない。 株や土地、金融は現象面の単なる結果である。人々の心の中には、まだバブル的な発想、生き方が残っている。企業も社会のシステムも同じである。法律による多くの規制が自由で生き生きとした活動を阻害しているのは事実である。しかし、人々の心が創っている規制のほうがはるかに多いことに気 が付かなければならない。 一人の人間として正しいと思うこと、これがあたりまえのことだと思うことを、あたりまえに実行する、それが私達の目指す建築革命である。
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